帝王の教室
小学生時代の担任の先生のことをたまに思い出すことがある。
小学生にとっては先生というのは神様みたいな存在だ。 担任の先生によって、生活すら結構変わるように思う。
地域によって違うのかもしれないが、通っていた学校は 1~2年、3~4年、5~6年と小学校では3人の先生に担任してもらう。 しかし、ぼくはこの学校にいながら、なんと 5人の先生に担当してもらった。
そう、奇数学年時に当たった先生が問題先生で、学年があがるごとに変えられていたのだ。 まぁお母さん達の評判が悪かっただけというかわいそうな先生もいたが、3年生の時にあたった先生は別格だった。
教室内に帝国をつくった。
その先生は、新卒先生。 この学校が社会人初めての職場だ。 ひょろっとした細身の気の弱そうな風貌。 声も自信なさげで、あまり大きくなかった。
言わずもがなクラスに着任するも彼は子供にどう接していいか分からず、教室内は子供の騒ぎで混沌としていた。
彼のとった最初の行動は、従順な生徒をクラスのトップにもっていき風紀を守る係として権力を与え、守らないものを生徒の裁量に任せて裁くというものだった。 子供の考える裁きなんてのはひどいもので、掃除の箱に閉じこめるとか、ホウキや黒板消しでたたくだとか、そりゃもう目も当てられない惨状。 彼はソレを黙ってみていた。
こうして自らの手を汚さず生徒統制がとれた彼は、みなが怯えあがる帝王として教室に君臨し、まぁあるいみカリキュラムだけはうまく消化していた。
しかし、そんなこんなの独裁教室が長く続けば、当然保護者の耳にもはいり、どういうことなんだ、とあえなく新卒先生は1年で別な学校に行ってしまった。
・・・実は何を隠そう、ぼくはこの先生が好きだった。 いや、やっていること自体は嫌いだったのだけど。 ぼくは普通の小学生と違って、先生も人間なんだ、という感覚が強く “怖い人” だとは思わなかったんだと思う。
この先生はハイテク先生だった。 ぼくが小学校3年生のときなので、20年以上前。 そんなころから、音楽の授業が始まればシンセサイザーを持ち出し打ち込みをした自動演奏で曲を奏で、学期末になれば成績をコンピュータを使って印刷したレーダーチャートにして生徒に渡していた。
ものすご~~いオタク先生だったわけだ。 当時のコンピュータ(マイコンってやつですね)なんて、漢字の出力も出来ないくらい機能が低く、ほぼ100%趣味の世界だ。 それを使って成績管理をしようなんてとてつもなく手間だったことだろう。
一方、小学生のひろまさくんもこのころは既に、電子ブロックとか組み込みマイコンで遊んでいて、レベルは違えど先生のやっていることは分かるわけで、妙な連帯感があった。 先生もそれには気が付いていたようだ。
成績のレーダーチャート渡すためを個別面談されたとき先生はぼくに言った。
これ(レーダチャート)つくっていたら他の先生に何遊んでいるんだ、って怒られた・・・
パソコンもない時代にそんなことしていたら、うまく説明するには相当な努力が必要だ。 ぼくがなんて答えたか覚えていないが、周りに愚痴る人もいなかったと言うことがうかがい知れる。
独裁教室をつくろうとしてやったわけではなく、あまりに人との接し方が分からなく弱さから苦し紛れに策に出た。 オタクという言葉すらなかった時代に彼は早すぎる存在で、救済措置が周りに何もなかったように思う。
1年後他の学校に転勤されてから先生がどうなったかまったくわからないが、学校から帰宅するときに、いつも歩道のハジをとぼとぼと背中を丸めて帰って行く「教室の帝王」の姿は今でも忘れられない。
From: ぎゅう - 2005/8/25 Thursday (Comment)
Eclipse + XAMPP で WordPress の開発環境を作ろうを参考に環境設定させていただきました。
BBSにも足跡残させていただきました。
From: ひろまさ - 2005/8/25 Thursday (Comment)
コメントどうもありがとうございます。
BBS のほうに続きを・・・。 🙂