ぼくが、コンピュータ(マイコンとかパソコンとか)をさわりだしたのは、小学校3、4年生くらい。 このサイトのどこかにもその話はありますが、「ファミリーベーシック」が最初です。 これはなにかといえば、かの有名な任天堂ファミリーコンピュータに、キーボードを接続してBASIC言語が楽しめるというもの。 マリオがね、プログラムをかくと自分の自由に動かせるんですよ。 あれは感動しました。
コンピュータ業界、このファミリーベーシックに影響されてはいったってひと、少なくありません。 何人か周りにいましたし、そのまま任天堂にはいったって人も知っています。 どれくらい売れたものかわかりませんが、歴史を変えた一品といってもよいでしょう。
ぼくの小学校の「将来の夢」をみてみると、こうかいてあります。
ボタンがいっぱいついた機械を操る人
まぁ本人もねらって書いているわけですが、おぼろげながらコンピュータの仕事をしたかったことがうかがえます。 で、素直にそのままなっちゃったわけです(笑)
さて、この時期におけるコンピュータの情報源といえば、雑誌・書籍しかありませんでした。 インターネットはもちろんないし、パソコン通信だって、300bps のがはじまったか、はじまらないかという世界。 300bps って、通信速度。 0.3K ですよ。 🙂 いまや、10M とか 100M です。。
この時期のコンピュータ誌をみたことがある方がどれくらいいるかわかりませんが、信じられないことに紙面にソースコードがざ縲懊懊怩チて乗っているんです。 今も残っている、I/O 誌なんかは当時5倍くらいの厚さがあって、マシン語のダンプが数十ページわたって記載されていました。
これどうするのかというと、手で入力するんです。 にらめっこで。 超細かい字で数十ページです。 2週間はかかります。 で、入力ミスがあると当然動かないわけで、ランアンドデバッグ。 うごかね縲怩チて。 これで鍛えられた、技術と忍耐はかけがえのないものでしょう。 今ならできません。 ;-P
紙面の内容もライターの方々の熱意であふれていて、コンピュータを扱っているのに人間味があるという、なかなか楽しいものでした。 特に、今は廃刊となってしまったマイコンベーシックマガジンは、ライターの方のキャラが色濃くでた雑誌で、イベントをやれば大盛況といった様相でした。
日高徹さんの本をはじめとして、ぼくはこの時期の雑誌・書籍に相当程度の影響を受けて育っています。 なんとなく、(技術は別として)文章を書くのが好きなのもそのせいかもしれませんし、ライターさんという職業にあこがれもありました。
時は流れ、PCが一般化してホビーから使うものに。 家庭にあるコンピュータにもメリットが求められるようになりました。 当然、雑誌の内容も変わってきて、いくつかのホビー系の雑誌は、残念ながら廃刊になってしまいました。 PCホビー層はもはやニッチなのか…。
いや、そーじゃない。 みんな WordPress で楽しんでいるじゃないですか。 きっと潜在層はもっといる…!。
環境的には、昔みたいにデータのロードにカセットテープでピーガー30分かかったり、機械の制限でできないことがあったりしないし、小難しいことはライブラリがやってくれるから、なんでもやりやすい。 しかも、インターネットがあるから派手なことができるし、発表の場もおおい。
NEXT ファミリーベーシックは、スクリプト言語じゃないかと思っています。
みんなおいでよ、たのしいから。
そんな想いもバックグラウンドにあり、もちろん好きな WordPress のこともあり、今回「文章」を書かせて頂いています。 古き良き熱意も、それから感じ取って頂ければこれ以上ないです…!。
詳細は明日。 🙂