ニンテンドーDSの品不足をみて、昔ファミコンが品薄でまったく手に入らなかったことを思い出しました。 ご多分に漏れず、当時小学生だったぼくもファミコン本体購入のために並んだくちで、数度のチャレンジの後なんとか購入できた覚えがあります。
ということで、まさにファミコン世代なわけですが、ぼくはおそらくこのコンピュータが発売されていなかったら、現在の職業にはついていなかったと思われます。 それくらいインパクトのある商品でした。
時は流れて、プレイステーション3が発売されようかという現在。 情報家電としての側面を持つこの高額ゲーム機。 はたしてプレステ3世代の子供は、このゲーム機からなにか衝撃を得るのだろうかとふと思うのです。
7万近い機械を子供の誰もが入手できるわけもない(ちなみにファミコンは 14,800円)。 そのうえ特殊なハードウェアで開発費はかさみ、反面いたずらに高解像度に書き込まれた画面は想像する自由を奪い、また著しくゲームの”遊びどころ”が分かりずらくなります。
その瞬間の儲けを考えれば、たしかに現在のファミコン世代(ぼくら)をマーケットターゲッットにするのはきっとあっているんだと思います。 高い値段でも買う人は買うし、新しいテクノロジーを是非みたいというむきもあると思う。 複雑なゲームもなれている人間にとってはおもしろみになる。
でも、ゲーム業界の将来を考えたとき、ここをターゲットにしたら衰退の一途となるのではないだろうかと。 どうもその場のことしか考えていないような気がします。
プレステ1のシェアをそのままもって成功したプレステ2。 しかしながら、その設計思想はハード屋さんの押しつけで、おかげでゲームソフトウェア業界は合併・統合のあらし。 プレステ3はプレステ2の功罪を再び起こしているような気がします。
ハード屋のつくるゲーム機ってなにをしたいのかがいまいち明確ではないイメージがあります。
地下鉄でニンテンドウDS で遊んでいる小学生がとなりにいました。 ゲームウォッチと同じような形をしたゲーム機。 映し出された画面には暖かみがありました。 任天堂はゲームウォッチの時にあった夢を DS で実現させたように思います。 当時からこれがやりたかったんだ、と思いました。
Wii も売れるとイイですね。 あ、360 もね 🙂